まい ふぉと ぶろぐ

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松姫さまのお寺・信松院~八王子市②(回想) 



松姫さまのお墓に行ってみます。




ここがお墓です。




お墓の横には松が植えてありました。





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松姫さまとお墓の説明がありました。





↑クリックで拡大します。

地図が書かれていました。





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観音堂地階には、八王子七福神めぐりの布袋尊が安置されていました。




布袋様をアップで撮りました。

布袋様の大きなお腹をさすると福徳を授かると書かれていました。




境内にあった稲荷神社です。




神社の前には池がありました。







信松院で買って来た絵ハガキです。

いい言葉ですね。







松姫さまが甲斐の国を脱出して武蔵の国の八王子までの経路


☆新府城を出発

 天正10年(1582年)2月4日頃
 
 警護の者など十数名 松姫さま21才

 幼い姫三名を連れています。


☆古府中のつつじヶ崎館(武田神社)で一泊


☆翌日石和を経て、そこから東に進み、栗原郷(山梨市上栗原)の開桃寺に身を寄せる。


☆開桃寺から北に向かい、塩山上於曽の向嶽寺に身を寄せる。


☆勝頼主従が田野で討たれ、武田が滅亡した後10日程経った頃、向嶽寺を出て南に下り、甲州街道に沿うような形で、笹子峠に向かう。
峠を越えたところで一泊。


☆都留郡内領主の小山田信繁を考慮して、岩殿山の裏側(北側)の急峻な山里に入り、野宿同然の泊まりを重ねながら上野原に抜ける。


☆上野原から相模の国(神奈川県)との境を北上。
那須部から相模の下岩を経て、陣馬山麓の案下峠(和田峠)を越え、武蔵の国に入る。


☆3月21日に上恩方(八王子市恩方町)の「金照庵」に身を寄せる。


☆「金照庵」で約半年ほど過ごし、そこから一里半ほど(約6km)下った下恩方の「心源院」という曹洞宗のお寺に身を寄せる。

ここで仏門に入り、約八年間の禅の修行を積む。


☆御所水の里(八王子市台町)へ粗末な家を建て移り住む。

その後武田の旧臣から寄進された立派な草庵(現・信松院)で生涯を閉じる。



※松姫さまは甲斐の新府城を出立する時には、実兄・仁科盛信の姫「お督」と義兄・勝頼の姫「お貞」、

それに人質として預かっていた、都留郡内の領主・小山田信繁の姫「香具」を連れていました。

いずれも三・四歳の幼い姫ばかりでした。



松姫さまの逃避行のルートとして、他の説には、向嶽寺から先は大菩薩峠を経て、稜線「牛の寝通り」を東に向かい、今の松姫峠を過ぎて、その先の佐野峠から西原(上野原市西原)へ抜けたというものもあります。

確かに地図を眺めると、塩山の向嶽寺から武蔵の国を目指すには、この大菩薩峠越えの方が自然だと思えますが、春まだ早い千メートルを超える稜線を、幼い姫三人を連れての旅は無理があったのではないでしょうか。



※資料は従姉から送って貰ったものから抜粋しました。



 歴史さんぽ

武田信玄息女 松姫さま


山梨ことぶき勧学院・大学院作成




とても丁寧に書かれていました。ありがとうございます。







これで「松姫さまのお寺・信松院~八王子市」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。

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