まい ふぉと ぶろぐ

主に富士山、風景、身近な花などの写真ブログです。

恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市②(回想) 



武田不動尊です。

信玄31歳 等身大の不動明王だそうです。







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望遠で撮りました。







説明がありました。






信玄公墓所です。







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団体さんは先に行ったので、今は私一人です。

とても静かです。。。








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お墓の説明がありました。







お墓の側に立っている、とても大きな杉木立です。








これから夢想国師築庭の庭園に行ってみます。







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国指定名勝 恵林寺庭園だそうです。







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庭園は池泉回遊式庭園(ちせんかいゆうしきていえん)だそうです。






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これで「恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市」を終わります。

ご覧いただきありがとうございました。

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恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市①(回想) 

NHK大河ドラマ「武田信玄」が終盤に近づいています。

信玄公の菩提寺である恵林寺に行った時のブログです。




2011年7月25日(月)

甲州市塩山にある恵林寺(えりんじ)に行って来ました。

恵林寺は武田信玄公の菩提寺になっています。


住所 山梨県甲州市塩山小屋敷


恵林寺地図




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国重要文化財 四脚門です。






四脚門の説明がありました。






今日は今のところあまり観光客が来ていなくて静かです。

けれど、そのうちに団体さんがやって来ました。







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恵林寺の説明が書かれていました。






境内を歩いていると、松の木に小鳥が止まっていました。

どうもキジバトのようです。







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県文化財 三門です。




安 禅 不 必 須 山 水 (あんぜん かならずしも さんすいをもちいず)  

滅 却 心 頭 火 自 涼 (しんとう めっきゃくすれば ひもおのずからすずし)




天正十年(1582)快川和尚(かいせんおしょう)、壮絶な火定(かじょう)を遂げた際の一句


武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者たちを引き渡すよう快川和尚に命じたが拒否され、怒った信長が三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放った。


※パンフレットより


織田信長の武田への攻め方は、すさまじいものがあったようです。

それだけ武田が怖かったのだと思います。







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二つの門の説明がありました。







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本堂です。






境内の様子です。







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武田信玄公訓書が書かれていました。




「軍勝は5分を以て上となし、7分を中となし、十分を以て下となす。」




五分の勝ちは励みを生じ、

七分の勝ちは怠けを生じ、

十分はおごりを生ずるので、次には必ず敗れる

戦に限らず世の中の事は、この心がけが肝要なり


と言う意味の事が書かれているのだと思います。


この信玄公の訓言は、実に身に染みるような気がします。。。






拝観料を支払って中を見せてもらいました。

拝観料は300円でした。

入ってすぐの所に飾ってあった屏風です






庭園です。

後ろから何人も団体さんが来ました。

騒々しいです。












写真を撮ったりいろいろ話をしています。

私は後から行く事にしました。









恵林寺(武田信玄公菩提寺)~甲州市②に続きます。


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松姫さまのお寺・信松院~八王子市②(回想) 



松姫さまのお墓に行ってみます。




ここがお墓です。




お墓の横には松が植えてありました。





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松姫さまとお墓の説明がありました。





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地図が書かれていました。





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観音堂地階には、八王子七福神めぐりの布袋尊が安置されていました。




布袋様をアップで撮りました。

布袋様の大きなお腹をさすると福徳を授かると書かれていました。




境内にあった稲荷神社です。




神社の前には池がありました。







信松院で買って来た絵ハガキです。

いい言葉ですね。







松姫さまが甲斐の国を脱出して武蔵の国の八王子までの経路


☆新府城を出発

 天正10年(1582年)2月4日頃
 
 警護の者など十数名 松姫さま21才

 幼い姫三名を連れています。


☆古府中のつつじヶ崎館(武田神社)で一泊


☆翌日石和を経て、そこから東に進み、栗原郷(山梨市上栗原)の開桃寺に身を寄せる。


☆開桃寺から北に向かい、塩山上於曽の向嶽寺に身を寄せる。


☆勝頼主従が田野で討たれ、武田が滅亡した後10日程経った頃、向嶽寺を出て南に下り、甲州街道に沿うような形で、笹子峠に向かう。
峠を越えたところで一泊。


☆都留郡内領主の小山田信繁を考慮して、岩殿山の裏側(北側)の急峻な山里に入り、野宿同然の泊まりを重ねながら上野原に抜ける。


☆上野原から相模の国(神奈川県)との境を北上。
那須部から相模の下岩を経て、陣馬山麓の案下峠(和田峠)を越え、武蔵の国に入る。


☆3月21日に上恩方(八王子市恩方町)の「金照庵」に身を寄せる。


☆「金照庵」で約半年ほど過ごし、そこから一里半ほど(約6km)下った下恩方の「心源院」という曹洞宗のお寺に身を寄せる。

ここで仏門に入り、約八年間の禅の修行を積む。


☆御所水の里(八王子市台町)へ粗末な家を建て移り住む。

その後武田の旧臣から寄進された立派な草庵(現・信松院)で生涯を閉じる。



※松姫さまは甲斐の新府城を出立する時には、実兄・仁科盛信の姫「お督」と義兄・勝頼の姫「お貞」、

それに人質として預かっていた、都留郡内の領主・小山田信繁の姫「香具」を連れていました。

いずれも三・四歳の幼い姫ばかりでした。



松姫さまの逃避行のルートとして、他の説には、向嶽寺から先は大菩薩峠を経て、稜線「牛の寝通り」を東に向かい、今の松姫峠を過ぎて、その先の佐野峠から西原(上野原市西原)へ抜けたというものもあります。

確かに地図を眺めると、塩山の向嶽寺から武蔵の国を目指すには、この大菩薩峠越えの方が自然だと思えますが、春まだ早い千メートルを超える稜線を、幼い姫三人を連れての旅は無理があったのではないでしょうか。



※資料は従姉から送って貰ったものから抜粋しました。



 歴史さんぽ

武田信玄息女 松姫さま


山梨ことぶき勧学院・大学院作成




とても丁寧に書かれていました。ありがとうございます。







これで「松姫さまのお寺・信松院~八王子市」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。

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松姫さまのお寺・信松院~八王子市①(回想) 

武田信玄公息女、松姫さまの記事を過去のブログから探してみました。



信松尼(松姫

Wikipediaより



2012年、1月29日(日)

八王子に用事があったので、以前から行ってみたかった信松院によって見ました。

信松院は武田信玄公息女の菩提寺です。

武田家が滅びた時に甲斐からこの八王子に逃れて来たそうです。





(11:09) 東京方面に向かって、左側に駐車場がありました。

ここにお寺があるのは、先日の地震の日の法事で、八王子から来ていた従姉のご主人に聞きました。

地震の日に、なんで法事がとか、ブログを見てくださる皆さまに愚痴を言ってしまいましたが、私にとってはいい事もありました。

この愚痴は法事の席上ではもちろん言いませんでした。。。


大月市には松姫峠があります。

甲斐から逃れて来た松姫さまが通ったと言われています。

私としては、松姫さまがどこからどのようにして八王子に逃れたのか以前からとても興味がありました。


この逃れたルートですが、もう一人の私の従姉が言うのには、知り合いがこの歴史を研究しているので、後でそのレポートを送ってくれると話してくれました。

良かったです♪

おばさんの法事、かなり収穫がありました。


あまり地震の文句ばかりも言えませんでした。


信松院地図




入り口です。




武田の家紋が付いていました。

八王子で武田の家紋を見て、なんだか嬉しくなってしまいました。




境内に入ってみます。




手洗い水です。




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説明が書かれていました。







御所水観音 観音堂です。




少しづつ望遠で撮ってみました。




屋根にも武田菱が付いています。




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観音堂と舎利殿の説明がありました。




屋根の上の金の龍です。






…松姫さまは、武田一族の菩提を弔われる仏道精進の毎日でありましたが、その傍らには糸を紡ぎ、絹を織られたりして織物の技を里人に伝えられます。

又、近隣の子供たちには手習いを教えられたりして、土地の人々から大変に慕われ敬われて平和な日々を送られます。

この時に松姫さまが伝えられた織物が、後世八王子織物として発展していく事となったのです。


※パンフレットの一部を抜粋しました。






松姫さまのお寺・信松院~八王子市②に続きます。


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小田原城~神奈川県④終 



刀剣が飾ってありました。







刀剣です。












花鳥図です。

↑の説明が書かれていました。






一番上に来ました。

外が見えます。

遠くに駿河湾が見えます。

















真鶴、伊豆半島方面です。












三浦半島方面です。








これで「小田原城~神奈川県」を終わります。

ご覧いただきありがとうございます。




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